目指しているところを端的に言うと、「道」[ドウ]を創りたいという事なのだと思う。茶道とか華道とかの「道」。自分のクリエーションは、サイエン ティフィックな対象物を扱うが、純粋なサイエンスアート、エクスプロラトリアムの展示物かと考えると、やはり違和感が残る。ただ単に、「他者」としての自然を、外側から観察する、という態度ではないのだ。もっと、対象に自我が溶けて行ってしまう様な、そういった精神現象を引き起こす為のメディアとして、作品をつ くっている。唯物論的な視点で、発明品を作っているわけでも全くない。
~道は、禅の思想から発展し、日常的な「些細な」対象と向き合う事から、実践を通して禅的な感性・知性を修得しようと言う方法論である。対象への認識の解像度をあげることを通じて、自己の認識の変容や、対象と自己との相互 作用によって生まれる精神現象への気付きを促し、認識の深化を促すシステマティックなメタ認知プログラムがデザインされている。
~道は、しつらえや、作法を非常に厳しく規定する。それは、その行為を行う事で、行為者の精神の流れを作り出す為である。ただ単に美味しい茶が飲めればよいという話 ではない。すでに、庭に入ったところから、庵にむかうそのわずかな道のりもまた、精神の流れに関わる、重要なデザイン対象なのである。
自分も、実はこのような精神の流れのデザインを目指している。これまでサイエンティフィックな切り口でプレゼンテーションを行う事が多かったが、どうしてもいい得ていない部分が残り、むしろそれこそが自分のクリエーションの本質なのではないか、という思いを引きづり続けていた。周囲から得られるコメントも、ほぼこの隠れた部分に触れる事は無かったが、勘の鋭い人はやはり居るもので、ずばっと本質をつかれては、「実は、、、」という感じで、話が弾む事も稀にあっ た。その度に、やはり、自分にはこれしか出来ないし、これを追求すべきだ、という思いは強くなり、このごろではそれは確信へとかわって来た。
僕が非常に大きな影響を受けた作家、James Turrellはこういっている。
First of all, I am not dealing with an object. The object is perception itself. Secondly, I am not dealing with an image, because I want to avoid any associative symbolic thought. Thirdly, I am not dealing with a special purpose or focal point, either. With no object, image, or purpose, what are you looking at? You are looking at yourself looking.
By dealing with light we come into areas, where science and art, and the Western epistemological thought, and eastern sorts of Zen or Buddhist ideas are no longer incompatible opposites, but phenomena of complementarity.
Turrellが打ち立てたのは、言わば「光道」とでも言うべきものであろう。神秘主義的な東洋思想の援用ではなく、西洋の認識論哲学と東洋思想とのcrossing pointに、新たな道を見出すという姿勢こそが、僕が彼から学んだ最も重要なものである。